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Normalisation of Life

MD/Doctoring my doctor's document

言葉

 

 の言葉を重ねても,万の文を連ねても,億の文節を束ねても,兆の物語を紡いでも――,

 

 

 

 決して語り得ぬ思いが人の中にはきっとあり,それが人と言う個を決定づける「何か」なのではないか.だとすれば人は決して本当には分かり合えず,全ての関係は分かったつもりの驕りの中で気付かれていく関係なのではないか.

 何てことは思ってはいないですけれど.

 けれど,やはり言葉というものは僕達が何年何十年と考え続け,築き上げてきた自我に対して余りに無力で.真摯に向かい合っているはずなのに,言葉が放たれた瞬間からその意は曲がり,時に雑音に遮られ,届く頃に原型――原意さえ思い出せないような,醜い何かに変わってしまっている時すらある.

“Everybody lies”――とは言うけれど,
「違う」
「そうじゃない」
“Every word lies.”
 という話だ.それでもやはり,僕らは言葉に頼らざるを得ないわけで,それは,諦めたくなる時も来るというのが必然の流れかもしれない.僕たちは常に嘘つきと生きているようなものなのだから.

 ならば,どうして僕らはそれでも言葉を積み重ねようとするのだろうか.嘘つきの仲人に大切な誰かとの関係を委ねてしまうのだろうか.
 そこには「言葉を紡ごうとした意志」がある.どれだけそれが不格好な言葉(すがた)として放たれようと,語弊塗れの,瑕疵だらけの言葉を呈してしまおうと,そこには,
「誰かを喜ばせようと言う意志」が,
「誰かを傷つけようと言う意志」が,
「何かを始めようと言う意志」が,
「何かを終わらせようと言う意志」が,
 きっとある.
 だからそれが一体どのような姿とったかより,誰が何を紡ごうとしたかのほうが当たり前のように大切で,そして何より重要なのは,

「言葉にしなければ何も伝えられすらしないってこと」

 と言う,酷く当たり前の話.言葉が表出されなければ,あるはずの道すら覆い隠してしまう.時に放った言葉たちが道を狭めてしまうこともあるかもしれないけれど,それと同じくらい,むしろそれ以上に何も語らないことは道を閉ざしてしまう.

 人に未来は見えない.過去に歩んできた道だけが,朧気に霞の向こうに見え隠れするだけだ.
 けれど,今はきっと見える.そして,適切に足元を見失わないかぎり,自分が岐路に立っていることがわかるはずだ.口を閉ざすということは,自分の足元すら霧で覆ってしまうということに他ならない.それだけは避けなければならない.
 見えない未来の恐怖に囚われて,足元を見失わないように.僕たちはいつだって言葉を紡ぎ続けなければいけない.それがどれだけ不格好で醜くても.

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 去年の段階で年末ポエムに限界を感じていた僕ですが,今年もかなり厳しいと言わざるを得ない.
 本年はまあそれはそれは色々ありましたが,何とか命からがら生きておりますので,来年もまた,愚かな僕の間違いだらけの言葉遊びに皆様お付き合いください.

Everybody lies and every word lies. But don't forget lies sometimes bring out the truth.

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