Normalisation of Life

MD/Doctoring my doctor's document

何もない空洞

学付属病院には,ゾンビが居る.

 

 

 それらは,人間大だ.しなやかであったり,だらしなかったりして,その体躯は一定しない.個体によって異なるが,基本的には白い体色をしている.道具を使うほどの知性を持つが,しかしそれを応用して使うほどの知恵はない.人語は解したり解さなかったりする.時折他の個体と訳の分からない言葉でやりとりしていることから,独自の言語を持つようである.

 それらは,基本的には集団で動く.その集団に属する個体が,別の集団に紛れることは殆ど無く,明確な群の意識があるらしい.それらは,通常我々に危害を加える事はない.我々一人一人には余り興味が無いように思える.しかし,ターゲットを定めると,それらはしつこく何度も何度もターゲットの元へ現れ,奇怪な言語を用いながら接近し,何らかの接触を行う.それらは,一週間か,二週間を過ぎると,基本的にはターゲットから興味を失い,また新たな目標を定めるために身を潜める.

 

 これが,今分かっている大学病院に出没するゾンビの生態である.

 

 

 ――何の事はない.このゾンビとは医学生のことだ.

 

 僕らは,医学的に見て,ひたすらに空洞である.医学的知識は皆無に等しく,医者や看護師たちの会話を聴いたところで,殆ど理解が出来ない.自分たちで動くことは少なく,ただ言われたままに物事をこなしていく(勿論,こなせていない).ましてや,自分で考えて目の前の事象を評価することなんて到底出来やしない(できていると考えるのは唯のおごりである).ただの,中身の無い,医学的ゾンビだ.

 それでもなお,僕たちは見た目だけは一丁前に医者然としている.白衣は着ているし,聴診器だって携えている.アクセス権限はあるから,患者のカルテに目を通すことは出来るし,許されれば実際に書き加えることも出来る.患者の方に受け入れられれば,道具は持っているから一応診察まがいのことはできるし,監督の目があれば,侵襲的行為も(わずかだが)可能である.

 こうした事実は僕らを少しずつ侵襲し,変化をきたしていく.まるで,何かができる存在のように.白衣をはためかせ,病棟を闊歩し,我が物顔で院内を踏破する.

 

 けれど僕は,それが酷く恐ろしいことのように思う.ただ無知な存在が,医師や看護師,その他の職種の人間と同じように病棟をうろついているのは,ある種恐怖の対象となっても良いと思う.それこそ,ゾンビのように.

 僕たちはいつだって,誰かを傷つける可能性を抱いている.侵襲的でないとはいえ,診察は全く危険がないわけではない.慣れない舌圧子が喉の奥を突いてしまうかもしれないし,不真面目な清潔操作が,患者を感染に至らしめるかもしれない.それらは,極めて低い確率の事象でしかないかもしれないが,しかし拭えない可能性でもある.

 そして例えば,自らが患者の側だとしてどうだろう? 急に複数人でやってきて,ベッドサイドを取り囲み,愛想笑いを浮かべて中身の無い言葉を並べつつ,自身の無さそうな顔をして,「少し診察させてもらってよろしいですか?」.

 「大丈夫です」.その言葉も本当に所見が取れているのかもしれないし,とれていないのかもしれない.見落としはきっとあるだろうし,もしかしたら医学生の適当な所見で作られた安心が,医師の告げる真実で破壊されるかもしれない.

 それはきっと,不安である.何でもないと知っていても,不安である.自らの抱えた病の中で,決して常に安定した精神状態ではない中で,異物の存在は,そして不確定の存在は,どんなに些細であっても,与える影響は当人以外に測れない.

 

 僕たちは「ゾンビ」である.意志はなく,道具をちらつかせながら応用はできず,しかし見た目だけは一張羅の,ハリボテのような存在である.余計なのは,相手を傷つける可能性があるということだ.そういう存在になってしまったわけだ.

 それでも,大学病院は我々を受け入れる.医師も,看護師も,技師も,警備員も,清掃員も,そして,何より患者も.これは奇跡的なことだ.

 

 ――何の事はないが,ただ「ありがたい」と言う気持ちは心の何処かに置いておきたいというだけの話だ.手術が,プレゼンが,レポートが.物事に押し寄せられて僕たちは時々意識を無くす.その時,僕たちは本当の「ゾンビ」になる.見ているものが「患者」から,「獲物」になる.そうなりそうになった時,有り難みを噛み締めて,目を覚まさなければならない.

 我々の見ているものは,「人間」である.「人間」という存在が何を意味するかが,我々の意識(クオリア)の持ちようによって変化する.もし失ってしまえば,貴方は本当に医学的ゾンビになるだろう.しかし,意外と世界は優しくて,いつだって戻るべき道は見えている.気がする.

 そんなことを考えながら,今日も僕という「ゾンビ」は病棟を彷徨う.自らの無知を携えて.